胎内回帰

此処は母親の胎内のようだ、と思った。もちろん実際に母親の胎内のことを覚えているわけではない。自分は今の自分でしかなく、幼い頃の記憶も、ましてや胎児だった頃のことなどはまこと現実味のない絵空事のようである。間違いなく「あった」時間だというのに、自分の中では無かったも同然なのだ。しかし私は、確信にも似た感覚でそう思った。母親の胎内というものが「あるならば」、きっとこんな感じなのだろうと、そう思った。体を丸め、覚えていない記憶を想像し、創造した。

 

確かな温度と、湿度と、耳を撫でる心音。視線を移動させれば、先刻噛み付いた歯の痕が残る肩口に歯形がくっきりと浮かんでいる。自分がつけたものに違いないのだが、全く覚えがなかった。脳裏に蘇るのは、堕ちるその瞬間。絡めた指先が残酷なほど優しい温もりを湛えていたことだけだった。

 

私は知っていた。自分たちは此処に居てはいけないことを。それでもまだこの夢に縋っていたいと願っている。羊水が流れ、干からびてしまった子宮の中で、それでもまだ眠っていたいと。

私は、きつく目を瞑った。いつの間にか自分の親指の爪を咬んでいる。

それが、泣くのを堪えるときの癖だと、未だ気付いていない振りをしている。

 

シーツの擦れる音がして、頭を引き寄せられた。鼓膜を振るわせる優しい声が、益々私を混乱させる。

返事ができない代わりに頬を摺り寄せると、自分を包む腕の力が確かに強まった。親指の爪を咬みながら、私は彼の胸の音を聴いていた。堪えきれなかった雫が裸の胸を濡らす度、大きな掌が髪を撫でる。

 

産まれ出る瞬間、胎児は何を考えているのだろう。

産まれ出る瞬間、自分は何を考えているのだろう。

 

私は、遥か昔の自分に思いを馳せた。

温かい羊水の中でたゆたい、護られて護られて長い日々を過ごし、隘路を通って、産まれ堕ちる、その瞬間。自分の意志で夢から這い出す、その瞬間。

 

私は大きく息を吐き出した。

愛しい人を呼んだ私の声は、わずかに震えていた。