鳥葬

「死体に、ハゲワシが群がった。一斉に翼が視界を埋め尽くし、私は呆然としてしまい、結局フィルムに、鳥の嘴が内腑を来世へ啄ばむ光景を、捉えることが出来なかった。」

 

読んだページにきちんと栞を挟み、彼は彼女の方を伺い見た。彼女は彼に背を向けて、何時もの様に、パソコンに意識のほとんどをやっていた。

 「ねェ、」

声を掛けた。返事は期待しなかった。

 「鳥葬って、憧れます?」

答えは返って来なかった。ベッドに凭れ掛かり、膝の上のハードカバーの本を台にして顎を乗せ、彼はその背中を見つめた。この人は、何時もこうだと思った。左足を伸ばし、その背中に足裏を充てた。

少しだけ身動ぎ、しかしそれ以上の反応は無く、キーボードの、ぱちゃぱちゃ、という音だけが続いた。足が届く距離。しかし、日本とセネガル程の距離感が有った。

 「ねェ、」

もう一度、話し掛けた。返事を期待しないから、話し掛けることが出来た。

 「そっちに行ってもいいですか?」

 「いいよ」

意外だった。普段なら、拒絶ついでに頬を引っ叩かれたりするのだが、どういう風の吹き回しか、受け入れられた。

背を向けたままの彼女の首根っこを掴んで、自分の方へ引き倒した。然したる抵抗もなく、小柄な体が脚と脚の間に落っこちて来た。

気が変わって撤回されては勿体無い、と思って、年端のいかない子供が、行儀悪くがっつくみたいにして、その首に噛み付いた。皮膚の味がした。

唇を噛締めたまま、時たま息継ぎの為だけに喘ぎ、睦言など、漏れたこともない。目を堅く瞑り、彼の体の下で、彼女は背中を反らした。その背中を手でしっかり支えて、彼は彼女の薄い胸に、顔をくっ付けた。

哀しいのは、彼女にとってこれは、手段ですらないということだ。

子供染みた羞恥ではなく、禁欲などという風な馬鹿げた考えでもなく、只単純に、快楽を共有することが苦手なだけ。繋がっていても、この体とその体の温度は、違う。

肉の悦びなど、この人には何の喜びも齎さないのだろう。そう考えると、彼は泣きたくなった。違う人間だから好きに成ったのに、違う人間同士だから、ひとつになど成れやしない。

腹を指でなぞった。爪を立てたら、痛い、と呻かれた。その口にキスをした。

 「鳥葬の前には」

目が薄らと開いた。目が合った。

 「皮膚を剥がすんですよ」

彼女の腕は、彼にしがみ付かない。何時もの様に、フローリングの床を掻いていた。

 「魂が抜けた肉体は要らないんだって、だから」

喋りながら、内腿を撫でると、体が強張るのを感じた。少しだけ強く、体を押し進めてやると、苦しげに大きく息を吐いた。

 「だから、鳥にあげちゃうんです、でも」

 「でも、あなたは、魂が未だ入ってる体でも、別に要らないんですよね」

彼女の目が見開かれて、彼を見据えた。熱に浮された様な、曖昧。

 「俺の身体も、鳥に呉れてやった方が、いいかなァ」

彼女の目は彼を通り越し、天井を見つめている様だった。莫迦、と呟く声が彼の耳に届いた。

 

目を覚ますと、彼女の姿は無かった。跳ね起きて、部屋中を見渡した。パソコンだけが、目に付いた。階下からシャワーの音がしたので、少しだけ安心した。彼女のパソコンは、電源が入れたままで置かれていた。のろのろと動いて、タッチパッドに触れた。画面が切り替わった。何処からダウンロードしてきたのか、そこには鳥葬の画像が貼り付けられていた。

今まさに、死体を啄ばもうとしている、施しを待つ鳥。

 さてこの体、

 この体は、如何鳥へ施されるのか。

 

彼は、首を捻って窓の外を見た。窓の外は、午後の弱い光で、薄水色だった。雀ばかりが似合う、腹を抉って呉れる猛禽類など何処からも入り込めない様な、四角い空だった。