生肉のダンスとそれに違わぬ望みの王様

人間に付属する生殖器を簡単に言えば空虚で広がる穴と円錐型の弾頭を持った肉の棒である。前者はどちらかといえば受け入れる側で主に分泌する。隠れている内部は酷く気味が悪いものであるのだが、幸いとこれは見えない。女は見えないものを大事にする。それに向け後者は、吐き出すことに専念する。分泌される液体は恐らく同じであろうとも、いかんせん白い体液の吐き出し具合と言うものがある。それは目撃が可能で、それが最大の違いだった。男は感じるものを大事にする。

 

セックスを愛する女性は限りなく男性的である。自分の体の外側に力を求めていると言う点では、宇宙よりも地球に向いている。逆説的にセックスを愛せない男性は限りなく女性的である。自分の身体ではなく意思を慮るならば、地球よりも宇宙に向いている。

 

生息場所というのは動物が立証するように、非常に大事だった。少なくとも生まれたばかりから数ヶ月の間に一定する精神の為には、場所は非常に大事だ。精神的な論じ方での外見である。昔は誰もが男性的だった。女は生き物を作り、男は生き物を生きる。より原始的だという認識は一切要らない。仕事をこなす、そのストイックな印象をたたえたまま、彼ら彼女は生息をしているフリをしてきた。

 

水色の空は雲が青くなりつつある。灰の機体の方が似合う空になりつつある。空を見てそびえるのは無機質なビルヂングだ。歪んだままで良いんだね?聞かれている気がするが、私は答えない。

どこにもいけないなんていう状況はないのだ。現にこうして私だって歩行しているではないか。

 

進化はうそつきだ。人間は進化して二本足で歩けるようになったと言うが、誰も歩いていないではないか。歩く必要がなくなって、足も要らなくなって、人間が肉の塊になるのはいつだろう。人間は学ばないし、教えない。聞かれても答えないから、言われても解らない。知らない。

 

 

物理的な男が笑っている。セックスを愛する男は男性的だろうか。おそらくそうなのだろう。ならば嫌う自分は限りなく女性的なのだろうか。背中を撫でられても困る。甚振られても困憊するだけで何の解決にもならない。セックスではなく、男が嫌いなのだ。

 

あいつを睨むと、睨まれた本人は嬲るように私を見て、ふん、と鼻で笑った。酷く腹立たしい仕草も厭だった。相手もしない。

無表情に景色を眺める。無機質なビルヂングが嘲笑う。だがあの無愛想な色は私に似ている。