仏の顔を三度撫で其の後罵倒

私の生活水準は自称中の下で、そのくせ馬鹿なので高ければ高い所を延々と好んでしまう。

色々なものはいらない。いつでも笑顔を振りまく場所で働くのは人の顔を見たくないからで、人を人とも思ってない、相手は人間ではないのだと。少なくとも自分の事を形容している。だがそれだけのことだ。只それだけの事で、他に何かあるのかと言えば、何も無い。

雨の日は屋上に続く扉を開けたまま外を眺めるのが好い。音が空に向かって響くような、その胡散臭さが好い。とても好ましい。夜は夜で好い。更けていくというより、殺されるように締め付けられるようなあの色は好い。毒々しい。朝も嫌いじゃない。別段すきでもないが、あの色は好い。空気によってとても冷やされていて朝は夏でも、冬でも、春でも秋でも、冷たい感じが好い。少し薄いのだ。

 

だから朝のうちに外に出て、高い所をうろついて、空気が冷たければ私はとてもその一日が好きだ。

 

時間は数えられない。数字も数えられない。私は時計は好きじゃないし、区切る警鐘は嫌いだ。起き上がらず、呼吸だけが延々と腹部を動かし、腹式呼吸だと何度思ったか知れないが、私は警鐘すら聞こえない人間だから、何度思ったか解らない。数字は解る。百まで数えられる。でも数えない。必要がない。魂が幾らくたばっても私には関係なく、寧ろ魂は基本的にこの世に関係などもたない。其処に居るだけで人間は誰しも存在を表明する。

 

私は、太陽を向く事が出来ない。目が痛い。空を眺め続けるのも出来ない。首が痛い。光も苦手だ。眼球が、搾り取られる気がして来る。片目が弱い訳ではない。目はいい。良過ぎて、痛い。見るものが透過する訳でも、見たものが変化を起こす訳でもないが、痛い。見ているのも痛い。辛い。闇は好い。何時まで見ていても痛くならない。暗いのは好い。薄暗いだけで目が悪くなる気がして来る。はっきりしないのは好い。あまり人の顔を見たくはない。

 

私は眠っていれば何も見えないし、起きていてもまあ出来ることなら何も見たくない。私はただそれを適当だと思った。適当だ。他の事も。それ以外の事も。だいじなものがあったようです。でも興味がない。

私にもそんな事が一つ位あった気がするが、無かった気もする。そんなくだらない話はどうにも耳から耳に流れてしまって良く解らない。

 

目蓋を閉じようとしたが、開けてても良かったんじゃなかろうか。目が効かないなら空も好いものだと思う。遠近が無いなら、とても近くて空は好い気がする。私は上を見上げたが、あまりに痛くて、目を逸らし滲んだ水を拭った。