発狂

わたしの心の底には化け物がいる。

暴れ回りやしないし、何かを唆すでもない。ただ10年前に作った血色の汚泥に身を潜めて、飛び出す瞬間を目をぎらつかせて狙っているのだ。嫌な笑み。もうそろそろだと、化け物は言う。腐った呼吸が首筋に当たったような気がして吐き気を覚える。

化け物がいる、化け物がいる。化け物は外に出るのを望んでいる。嫌な生き物。けれど育てたのはわたし自身だ。

 

永遠を遇するような話だった。長い永い話だった。話自体は極力掻い摘んだ短いものだったのに、それでも今のわたしにとって、それは酷く浮世離れした時間だった。現実から、乖離しているような。

 

指先が、焦げついた情報を英文にして次々と英文字を落としている間、ずっと心臓が酷く嫌な動きをしていた。疾走し、緩慢になり、また不規則に動き出す。人ではない化け物の正体を知った怯懦ではない。じくじくした痛みを包含する過去に付随する憤怒でもない。興奮でもない。

ただわたしの心臓は螺子が外れた機械のように拍動していた。それでも外貌だけは普段の泰然を装えているのだから、自分のことながら異常だと冷静に思った。軽く握った掌には汗もかかず、きっと顔色も変わっていないんだろう。だからわたしは自分が静かに狂い出している事を感じる。

 

 

心の底で嫌な音がした。この音を知っている。ああ、そうだ。あれがとうとう汚泥から足を上げる音だ。腐臭が漂って、感覚を蝕む。目を向ければ、わたしが立派に育て上げた血色の化け物が笑っている。嘲笑する。そうだよ。やっと分かったの。そういって、また笑う。高らかに。

 

ジグソーパズルの最後の一片を嵌めるようにあっけなく、その瞬間はやってくる。

俄かには信じられないはずの話は、わたしの中で全ての符号を合致させる。知ってしまった、それが合図だ。

 

 

 

悲劇は度を過ぎれば喜劇になる。何て滑稽なんだ。目の前で化け物が笑った。よく見るとわたしの形をしている。何て、滑稽なんだ。

哄笑は止まなかった。笑う。あるいは嘲笑う。それが何を明確に蔑んでいるのか、既にわたしにも分からなかった。化け物はもう飛び出してしまった。ただ、それだけのことだ。