さんすう
“ない”と教えられていたものがある日突然“実はこう表せばよいのですよ”と180度方向転換することはさんすうではよくあることだ。
例えば√だとか、複素数だとか。
3.14で必死に計算してたものが突如現れたπに取って変わられたのは、幼な心にショックだったのをまだ覚えている。
√と言えば、少年には電卓に多大なる関心を示した時期があった。暇さえあれば意味もない計算をし、画面が数字で埋まるのが楽しくてしょうがなかったという時期だ。少年はある日√のボタンに気付き、これは何かと聞く。説明を受けても何のことやらさっぱりだったが、その時聞いた語呂合わせの文句は少年を熱くさせた。暇さえあれば少年は電卓を叩く。
2+√=ヒトヨヒトヨニヒトミゴロ。3+√=ヒトナミニオゴレヤ。5+√=フジサンロクニオウムナク。
不可思議な文章は妙にすんなりと少年の頭に入り込んだ。
1から9まで全て、赤ん坊が言葉を覚えるように覚えた。意味も判らずに。
そして彼は初めて√を習ったとき、「ああこのことだったのか」と酷く納得したのである。先生は覚えろとは言わなかったが、覚えていると中々役に立った。つまり、殆どの教科で欠点すれすれをいく彼が何故か√の語呂合わせだけはすらすら唱えられるという謎は、ここに由来するわけだ。数字を見ればすぐに語呂合わせのような妙な読み方をするのもそこに由来するのかもしれない。
それはともかく彼は方向転換が嫌いだった。
“ない”と初めに言うならずっとそのまんまでいろよと思うのだ。
手のひら返したみたいに“実はあるんですよ”って、一体何の手品だ。馬鹿にしやがって。特に複素数が嫌いだ。そもそも存在しないくせに地位を築きやがって。だから彼は、√を除いたさんすうのすべてが嫌いだと、親友に語ったところ、屁理屈を言うなと一蹴された。
さんすうの宿題をやっている最中にする話としては、シュークリームに納豆を詰めるくらい不向きなのだった、という話。