わたしはここにいるよ

薄暗く煤けた無機質の部屋の片隅で、愛しい子供が泣いている。

疲れているの、と、いつまでも泣き止まない。

 

ティーブラウンの澄んだ瞳を涙でいっぱいにして世界中の音を拒絶するみたいに両手で耳を塞いでぎゅっときつく自身を抱きしめながら泣いている。

触れたらそこから腐ってほろほろと崩れ壊れてしまいそうなほど弱弱しく、小さく丸まった背中からは常に声無き悲鳴が軋んでいる。お願い、放して、もう、やめて。

 

孔雀色の翡翠の宝石を大きく穿たれた眼窩に埋め込んでそれが上を向いたり下を向いたり右を向いたり左を向いたりを繰り返している。

その忌々しい瞳でどのくらいたくさんの風景を焼き付けてきたの。どのくらいたくさん彼女を愛して慈しんでいとおしんできたの。どのくらいたくさん彼女の肉体を抉って心臓を引き裂いて四肢をもいできたの。

そうしてその瞳が映してきた彼女をわたしは知らない。ひとつも。

わたしはこの男の酷薄そうな微笑や指の動き、仕草、呼吸、鼓動、他からの干渉による喜怒哀楽を見るたびに彼女の細い体が震えるのだけを思い出す。言葉をかけてはいけない、崩れてしまう。

 

呆然と立ち竦む。動脈も静脈も関係なしに体中を汚い血液が巡っている。

かける言葉も差し伸べる腕も包み込む身体も全てを持ち合わせてはいない。今は。

 

この愛しい子供が泣いているのをどうして慰めるなどできるのだろう。優しい歌で押し殺すことも、厳しい叱責でなじることも、わたしにはできない。できるはずがない。だって、だって彼女はどうしてもわたしに何一つ話してはくれないのだから。

疲れているの、塩化ナトリウムの混ざった透明な液体をその瞳いっぱいに溜めてそれでもわたしに告げる言葉はそれだけ。残酷な男の愚痴でもなければ恨み言でもない。艶言でもないし泣き言でもない。理不尽も不条理も説かない。

 

彼女はただただいつまでも泣いていた。時計の秒針が内臓を八つ裂きにする。 

気付かないふりなんかやめて、立ち直ったふりもやめて、今はまだ泣き止まなくていいから。ねえ、わたしはここにいるよ。