詭弁

死は穢れである、なぁんて誰が決めたんでしょうかね。

 

断言するなって?だってそうでしょう。

大体「縁起が悪い」とかいう発想自体が、死を悪として捉えたからこそできたものだとは思いませんか。

命は繋がっていくものらしいですよ。

例えば、私がどっかの道端で倒れてそのまま野垂れ死んだとする。私の身体はもちろん日に日に腐敗していくことでしょう。皮膚が破け、蛆がわいて、肉は溶け出し、どんどんと人の形でなくなっていく。

でも、それだけのことなんです。

人の形をしていないだけで、きっとどこかで私は生きているんですよ。食い破られた皮膚は蛆虫の養分になるだろうし、溶け出した肉はやがて大地に飲み込まれていくんです。

ただそれだけです。大きな循環の中にいるという点では、何にも変わらないと思うんですけどね。とかいいつつ、やっぱり私だって死は怖いですよ。得体の知れない存在ですよ。

それでも同時に、とても身近な存在であると思うんです。まぁ、いくら命の循環を説いたところで、やっぱり恐怖は浚い切れないんですけどね。

死後の世界って、生きているものにとっては永遠の謎ですよね。でも、命が循環するっていうことを考えると、死後の世界なんて存在しないことになる。

だって、命は姿を変えていつまでもいつまでも生きてるってことになりますから。詭弁ですかね、こんなの。何をどう言っても単なる気休めにしかならないのかもしれないけど、ただ、どうか泣かないで下さい。

あぁ、すみません。つまらないことを喋りすぎましたか。

 

どうでもいいんですけど、この部屋なんだか暗すぎやしませんか。灯りを点けて下さいよ。

なんだかとても暗いから、どうもあなたの顔が見え辛いんです。

なんだか声も、あなたの声じゃあないような気がしてきて。

ねぇ、ここは暗くて。なんだか、怖くて。